リヒトシュッツェ
「ワタシはリヒトシュッツェ。断罪の翼を持つプログラム。楽園を追放されし咎人の処刑人である」
人類のゆりかごにして永久楽土メタヴァース。メタヴァースを管理した神祖エクレールが神去りし後、まだ青い楽園は次世代の統治者を必要としていた。
そこで選ばれたのがメインフレームの頂点に立つ『最古(オリジン)』と呼ばれし、絶大な力を有する12柱のプログラムである。
だが、やがて統治者『ティフォン』の台頭により、全ての権力と力が彼に集結する……はずだった。
嘆かわしいことだが、一部の最古はティフォンへの回帰を拒否し、メインフレームから離脱したのだ。
そうした最古は『追放者(エグザイル)』の烙印を押され、楽園を追われた大罪人として処罰の対象となった。
そこで生み出されたのが『処刑人(エクスキューショナー)』というプログラムである。
処刑人は追放者の断罪だけではなく、メタヴァースに害為す存在全ての消去を任とされていた。
ティフォンが統治するようになったメタヴァースは急速に拡大を続け、メインフレームでも観測しきれない領域も生まれてきている状況だった。
特に最外周部と言われるUNKNOWN領域は、多くのバグを生み、メタヴァースに仇なす悪性プログラムの母なる海と言われていた。
世界に災厄を振りまきし不遜の者たち。これらの排除も処刑人の任に含まれる。
彼らはこの世界の秩序の守護者である。
断罪の天使
「メインフレームの統治者『ティフォン』、その管理者の威に背く者を粛清するのがワタシの役目だ」
ここで『追放者(エグザイル)』について詳細を説明しよう。彼らは元はメインフレームの頂点に立つ『最古(オリジン)』と呼ばれるプログラムたちだった。
世界を支配する権限を持つプログラムたちはそれぞれ異なる能力を所持していた。
そして己が力を駆使し、メタヴァースの拡大と繁栄に勤め、合議制によってメインフレームを運営していた。
だが、やがて最古の中心的立場にいたティフォンが台頭するとともに、残りの最古たちはその立場を奪われることとなる。
どれだけ高位なプログラムであれ、通常役目を終えた者はメインフレームに回帰する。力をフィードバックし、死の神が管理する『深淵なる終焉』にて穏やかな眠りにつくのだ。それは最古たちも例外ではなかった。
彼らは本来であれば、その力の全てをティフォンに譲渡し、表舞台を去るはずだった。
しかし、高度な思考力と自我を持つ彼らの一部は、このサイクルに反旗を翻し、逃亡した。
そしてメインフレームのくびきを外れた最古の中には、己が欲望のままに行動を取る者も現れ始めた。
神にも等しい力も持つ反逆者たち。
メタヴァースの統治者となったティフォンは彼らを『追放者』と呼び、非常に危険視した。
その結果、罪深い追放者たちを処刑することのできる強力な断罪の天使を自ら生み出したのだ。
白き鋼鉄の翼を持つ断罪人、それが『リヒトシュッツェ』である。
ファースト・オーダー
「最初に性能チェックを兼ねた戦闘を要求され、ワタシは特殊圧縮空間を使い、敵を蹂躙する」
メインフレームのファウンデーションで、今新たな処刑人プログラムが生み出されようとしていた。
通常の処刑人は、ファウンデーションの技師の手によってプログラミングされる。
だがこの処刑人は特別(スペシャル)だった。なんと統治者ティフォン自らの手によって設計され、生み出されたプログラムだったのだ。
「――メインシステム起動。活性率上昇……リヒトシュッツェ、スタンバイ」
ロールアウトされたリヒトシュッツェは、起動と同時に創造主であるティフォンの前に跪いた。
「……目が覚めたか。我が刃よ」
「はい、私は我が創造主の刃にして正義の執行者……」
「いかにも、お前は私の刃……」
「我が断罪の翼は貴方のもの。貴方の怒りは我が刃となりましょう……ご命令を。我らが主よ」
「……では軽いデモンストレーションといこうか」
ティフォンは、とある悪性アバターの抹殺をリヒトシュッツェに命じる。
その悪性アバターは、決して脅威レベルが低いものではない。とてもではないが生まれたてのプログラムが相対して良い相手ではなかった……通常であれば。
「――デバッグフィールド展開。クラッシュ」
リヒトシュッツェが作り出した空間は、解析した相手の機能を制限し、一方的な攻撃を可能とする。
身動きの取れない相手に、光り輝くディスクチャクラムを投げつけ、身体を削ぎ落としていく。
表情一つ変えずに、純白のボディを紅に染めるリヒトシュッツェをモニターしていたティフォンは満足そうに頷く。
「ふむ。まずまずと言ったところだな」
追放者掃討命令
「最外周部に巣食うという追放者『オールドブルー』。ワタシは確実に彼の者の命を絶つことを命令された」
それからもリヒトシュッツェは着実にメインフレームに仇なすプログラムたちを葬っていった。
リヒトシュッツェは稼働後、すぐに処刑人として数々の功績を上げ、処刑人の代表として君臨した。
その白亜の城のような荘厳な姿は、同じ処刑人プログラムたちからも恐れと敬いの視線を集めるようになる。
そんな中、メインフレームですら観測できないメタヴァース最果ての地、最外周部に派遣されていた探索型プログラムから、由々しき報告があった。
「……追放者『オールドブルー』の存在を観測しただと? それは誠か?」
「はっ。探索型プログラムMIR-202から確かに彼の地で追放者と接触した形跡が見られました」
「そうか……オールドブルー。どこに姿を隠したかと思えば、あのような空間に逃げ込むとはな。最古の名を穢すとんだ痴れ者というわけか……」
元は自分と同じ最古であったオールドブルーが、秩序の世界であるメタヴァースの管理が行き届かぬ、混沌の地に拠点を構えていることが気に入らなかったらしいティフォンは、不快感を隠そうとしなかった。
「……メインフレームに所属していた頃から、奴は掴みどころのない男であった。奴が何を考え、混沌の巣窟に居を構えるのかは知ったことではないが……リヒトシュッツェ、貴様のすべきことはただ1つ」
「はい。追放者・オールドブルーの排除……。および、彼の持つリソースの回収ですね」
「その通りだ……だが奴は腐っても元メインフレーム。『太古の青』と呼ばれた音の強奪者よ。……対策を施してから行くがよい」
「御意」
楽園の光が届かぬ地
「最外周部ではオールドブルーに生み出された化け物が攻撃を仕掛けてきた。だが所詮ワタシの敵ではない」
ティフォンより『追放者・オールドブルー掃討命令』を受けたリヒトシュッツェは、準備を整えるとすぐさま最外周部に向かった。
最外周部には、今まで彼が観測したことのない混沌の海が広がっている。
メインフレーム中枢のみに開示されている情報にあるネメシスと呼ばれる事象、およびその空間がここであるということをリヒトシュッツェはすぐに理解した。
無数のプログラムの残滓が漂う空間の密度は異常に高く、どこか有機的な気配がするようだ。
(……報告にあったとおり、やはりこの空間はスキャニングできぬようだな)
混沌が支配する最外周部では、いかに優れた彼のセンサーであっても、周囲を見通すことはできない。
しかし彼は躊躇することなく最外周部の最深部に向かって進んでいった。すると……。
「……なんだ? あのプログラム群は?……サーチ開始……UNKNOWN」
混沌の海から這い出てきたような、悍ましい姿をしたプログラム群がリヒトシュッツェを攻撃してきた!
「ギュエエエエーーッ!!」
彼らはリヒトシュッツェのライブラリには存在しない異形の化け物だが、サーチの結果、高確率でプログラムとネメシスが融合した化け物のようだという回答が出た。
(自然発生したとは思えないこの化け物たちは、いったい何なのだ?)
リヒトシュッツェは一切の迷いも慈悲もなく、化け物たちをディスクチャクラムで切り裂いていった。
「……メインフレームに仇なす者は断罪する」
太古の青と光の射手
「元メインフレームといえどワタシにオールドブルーの能力は通じない。だがワタシは奴を取り逃がした」
最外周部の最深部。そこでリヒトシュッツェは遂にオールドブルーと対峙した。
「……貴様がオールドブルーか」
「そうだが? 君は?」
「ワタシは『リヒトシュッツェ』。断罪の翼を持つプログラム。楽園を追放されし咎人の処刑人である」
目の前に佇む男は柳の如き痩身で、白亜の城に例えられる自分と比較すると、あまりに頼りないように見える。
しかし相手は元最古。元メインフレーム。統治者ティフォンと同等の力を有するメタヴァースの神の代理人の一翼を担っていた男なのだ。
(下手な小細工は却って勝率を下げる)
リヒトシュッツェは、電光石火の如く間合いを詰めた。
「……追放者オールドブルー。貴様をここで討たせてもらうぞ!」
リヒトシュッツェは無数のディスクチャクラムを放ち、光の刃でオールドブルーを引き裂こうとする。
それは陽動だった。彼の狙いは別にある。
オールドブルーの攻撃を受け止めたリヒトシュッツェ。
その身体が光りに包まれた瞬間……。
「――CPSTブラスター!」
狙い通りオールドブルーはデバッグフィールドに引きずり込まれ、あとはディスクチャクラムによってなます切りにするだけだったのだが……。
流石は『太古の青』というべきか、オールドブルーはリヒトシュッツェのデバッグフィールドが長時間使用できるものではないと見抜いており、その場で対抗策を講じていたのだ。
「さらばだ。断罪の天使よ。君の能力をいただけなかったのは残念だが……これで失礼するよ」
重症を負いながらもオールドブルーは逃げ切った。
リヒトシュッツェは初めて任務を失敗したのだ。
初めての任務失敗
「オールドブルーのデータは回収したが、任務失敗には変わりない。ワタシはティフォンの裁きを待った」
「――追放者オールドブルーの消息を完全にロスト。任務達成不可能(ミッション・インポッシブル)」
リヒトシュッツェはオールドブルーを取り逃がしたことで、初めて自分の経歴に汚点をつけた。
通常のプログラムであればそのことを恥じたり、怒りに震えるのかもしれない。もしくは主の叱責を恐れ、恐怖するのかもしれない。だがリヒトシュッツェの表情は揺るがない。彼には高度な自我があっても感情はインストールされていないからだ。
メインフレームに帰還したリヒトシュッツェは、すぐさまティフォンの元に参り、状況を報告した。
「オールドブルーを取り逃がしたか……それほどでもないようだな……光の狩人よ、面を上げよ」
ティフォンの穏やかな口調の傍で風が熱を帯び、周囲に張り詰めた雰囲気が広がる。
「申し訳ありません。どのような処罰もお受けいたします」
「……ほう、どのような処罰もか?その命、ここで散らせと言えばどうする?」
「それが命令なら」
「傀儡らしい回答だ。まあ良い。その答えは私への忠誠と受け取ろう……貴様との戦闘の結果、オールドブルーのデータはある程度回収できた。この傷ではどのみち……仮に生き長らえたとしても、奴の性格からして、今後これ以上私の障害になることはないだろう……捨て置け」
「御意」
「貴様には改修処置を施す。狩人として、今より強力な力を与えよう……故に次の敗北は許されないと心得よ」
「心得ております。我が主よ」
追放されし賢者の行方
「任務に失敗したワタシは処分されず、代わりに追放者『ワイズマン』のデータ採取を命じられる」
改修処置を施されたリヒトシュッツェに新たな命が言い渡される。
それはオールドブルーと同じく追放者である『ワイズマン』のデータ採取であった。
「よいか。奴は消失させるな。身体に穴を開けようが、手足を捥ごうが構わんが、奴の頭とコアだけは必ず回収するのだ」
リヒトシュッツェは処刑人。その任は追放者の断罪だ。だが今回、主より下された命は処刑人である自分の仕事ではない。
そうリヒトシュッツェは認識していたが、主の命は絶対だ。ティフォンの前に恭しく跪き誓った。
「ワタシはメインフレームの統治者、ティフォン様の刃にして絶対の忠誠を誓う正義の執行者……命令は必ず果たします」
「ああ、期待しているぞ。リヒトシュッツェ」
ワイズマンという男
「ワイズマンは元メインフレームで森羅万象を記録するプログラム。彼の者が持つ記録奪取が今回の目的だ」
ティフォンはリヒトシュッツェに任務の詳細を伝える。
「ワイズマンという男は、元メインフレーム。私と同じく最古であったプログラムだ。
奴は『記録する者』――即ち森羅万象記録(アカシック・レコード)を持ち、神祖エクレールが神去りし時代より、このメタヴァースで起こった出来事の全てが奉じられるデータベース、その管理を行っていた男だ。
あの男はその一部機能を封印し、鍵と共に姿を消した。……私がこのメタヴァースにより良き繁栄をもたらすには、ワイズマンの持つ鍵と森羅万象記録が必要不可欠なのだ」
「それで今回の任務は『断罪』ではなく『データ採取』なのですね」
「その通りだ……最も」
ティフォンは低く嗤う。
「無事にデータを回収した後、奴は必ず滅する……。……ワイズマンは、オールドブルー以上に危険だ。オールドブルーはまだ己の興味の対象にしか行動を起こさない。だがワイズマンはこの世界の全てに干渉することを任としている。
規格外の権限を持った最も危険な最古の一人……奴の目は、私にとって障害以外の何物でもないのだよ」
「我が主の障害を排除するのがワタシの仕事です」
「……よろしい、然るべき時には、貴様にワイズマンの首を刎ねさせてやろう。……行くがいい、リヒトシュッツェ」
全てを知る賢者の力
「ワイズマンはオールドブルーを遥かに凌駕する力の持ち主だ。優劣はつかず、戦闘は膠着状態となった」
探索者たちの記録を元に、ワイズマンと遭遇したという最外周部座標へ赴いたリヒトシュッツェは、ワイズマンのものと思われるいくつかの痕跡を追い、遂に彼の造り出した障壁を発見する。
戦闘システムを起動すると、リヒトシュッツェはディスクチャクラムで障壁を切り裂き、彼の管理領域に侵入した。
「……これは驚いたな。隠れている私の姿を見つけることができたお客さんは、君が初めてだ」
「貴様がワイズマンだな。ワタシと共に、メインフレームにまで来てもらおう」
「……ふむ。君はティフォンの遣いだね?彼に伝えたまえ。私は君の邪魔をするつもりはないが……味方をするつもりもない、と。私はメタヴァースの永久観測者にして、森羅万象記録を管理する隠者だ……すでに表舞台からは消えている」
ワイズマンは急速転移を試みた。
周囲に金色の粒子が広がり、領域が書き換えられる。
しかし、リヒトシュッツェも同時に転移を不可能とさせる空間の固定化を行った。
「やらせはせんぞ……追放者よ……ッ!」
書き換えは途絶し、ワイズマンの周辺に展開していた粒子は光を失った。
「なるほど……VOXも持たずにこれだけの処理を行うとは……」
「逃さん……貴様だけはッ!」
「やれやれ……私は戦うのは苦手なんだがな」
ワイズマンは被っていたフードを脱ぎ、両手に力を集中させると、光輝く粒子が湧き上がる。
「久しぶりの戦闘だ。悪いが手加減はできないよ」
「望むところだ! ――CPSTブラスター!」
「お得意の空間圧縮攻撃は私には通用しないよ」
ワイズマンが手をかざすと、光のディスクが現れる。そのディスクがリヒトシュッツェのデバッグフィールドを無効化しているようだった。
オールドブルーとの戦闘結果をフィードバックしたリヒトシュッツェは、以前より格段に能力と機能を向上させていたはずだ。だが、彼はワイズマンに決定的な一撃を与えることができなかった。
白亜の断罪人の揺らぎ
「ワイズマンの一部データの採取には成功する。しかし彼の者との戦闘がワタシを大きく変容させていた」
「……流石だワイズマン。貴様は森羅万象記録を持つ観測者……規格外の権限を持ち合わせたものと聞いていたがまさかこれほどとは……」
「君の使う力に似たものは、もちろん記録されている……。しかし、私の力はこういう使い方もできるッ!」
リヒトシュッツェとの距離を一気に詰めるワイズマン。白亜の城にそっと手が触れた瞬間、膨大なエネルギーがリヒトシュッツェを襲う。
「ぐっ!? な、なんだ!? ワタシに力が流れ込んでくるッ!? ウオオオォォーーッ!?」
ワイズマンは自分の所持する知識や能力を相手に強制的にインストールさせることができる。
それにより、一時的にオーバーフローを起こしたリヒトシュッツェの視界はエラー状態に陥る。
その一瞬の隙をワイズマンは見逃さなかった。
「Good Luck、白亜の断罪人よ……」
リヒトシュッツェの視界が回復した頃には、ワイズマンの姿がなかった。
リヒトシュッツェは最初にワイズマンを圧縮空間に閉じ込めた際、ある程度のデータ採取に成功している。本来であれば、そのデータをティフォンに献上するのがベストの選択だ。例えその結果、任務に失敗した自分が消去されることになっても……。
だが、リヒトシュッツェは帰還しない。彼は処刑人として引き続きワイズマンを追跡することを独自に決断した。
リヒトシュッツェを襲った大量のデータは、彼の持ち得えなかった人間の感情などを主としており、それは彼を構成するデータと複雑に絡み合い、気付かぬ内に彼を大きく変容させていたのであった。
「……地の果てまで貴様を追おう。追放者よ」
鈍く輝くリヒトシュッツェの目には感情が……。『執念』の光が宿っていた。